3月

 院試の勉強のため、1年生の頃の講義ノートを引っぱり出してきた。読み返してみたら記憶にあるよりもちゃんと理論的なことをやっていて、もし並行して授業内で紹介された本も読んでいたらかなり勉強になっただろうなと思った。当時、というかずっとだけど、私は講義はめちゃめちゃ真剣に聞くし考えるしレポートの成績もいいけれど全然本を読んでないタイプの学生で。一応読もうとして買ったり借りたりはしてたけど、毎回挫折していた。

まだまだ学術書を読むのは苦手だけれど、あの頃よりはできるようになった。院試までもりもり読むぞ。

活字中毒と言ってもいいくらいだった小学生時代から、読書習慣が崩壊した中高時代を経て、思えば一年の秋学期に先生の授業を取った時から私と本との関係は再び始まったのだな。本を読むことが学問の欠かせない営みであることを言い聞かせてくれた意味でも、シンプルに「かっこいいなこの人みたいにたくさん本を読むようになりたいな」と憧れさせてくれた意味でも。あれから3年くらい経って、ようやくスタートラインに立てた感がある。

 

 

「1月」の記事で書いた、国語辞典、ぼつぼつ楽しんでおります。先日は「穿った」の意味を知った。

そもそもの発端は「矛盾と逆説ってどう違うんだろう」から始まり、
逆説:「表現の上では一見矛盾しているようだが、よくよくその真意を考えてみるとなかなか穿った説」

……穿った穿ったってなんか、「ひねくれた」みたいな意味?

穿つ:「人情の機微や事の真相を的確に指摘する。「穿ったことを言う」」

知らなかった!

(ともに新明解国語辞典第八版より)

 

 

自分のためのメモ。

 

bunshun.jp

 

日常の中に震災があった。いや、震災の中で日常を生きていた。それを知れば知るほど、いわきで生きていることが、とても大切なことのように思えた。

取材と称して、いろんなところへ行き、人に会った。職業としての記者を離れてみても、私は人の話を聞くのが好きだったし、それを誰かに伝えることを必要としていた。ニュースは世界そのものではない。こぼれ落ちていく日々の多くの出来事の中にも、伝えられるべき大切なことはある。メディアに対する、自分なりの抵抗でもあり、反省でもあった。

 

bunshun.jp

東京にとって、3.11は日常ではない。年に1度訪れる、メモリアルに過ぎない。「寄り添う」と言ってみたところで、日常を過ごしている私たちとの認識の差は、当然ながら大きい。その差を、殊更に責め立てるつもりもない。認識の差を埋めるため、東京の電波を使って、多くの人に知ってもらうように交通整理することも、地方局の務めであろう。すべての人間が、日常的に3.11を考える必要もない。私もまた、この時期に向けて、心血注いでニュースを伝えようとする1人である。

 しかし……、と思う。

「静謐であるべきだ」と話す被災者がいるにも関わらず、3月を一方的に「震災の季節」にして、少なからぬ人たちを困惑させ、場合によっては踏みにじるようなメディアの身勝手さを、感じないわけでもない。

 

note.com

撮影していた鉾井は、冷静だった。あまりにも現実離れしていて、まるで映画のように感じたからだという。津波が押し流している車や家には、多くの人がいるに違いない。人が巻き込まれる瞬間などが生中継で映り込むことがないよう、画面のアップを極力避けるよう意識した。

 

「あの現場を撮ったことに対して、誇りを持て」と言われたこともあった。撮った映像は貴重だと感じるが、そういう風に思うことはできなかった。自分の成果ではない。逆に、ヘリのおかげで自分の命が助かっただけだというのが正直な気持ちだった。

 

 

発表会の~手伝い~~社交辞令でも「もう踊らないの?」って声をかけてもらえると嬉しいのだ。人の顔、音楽、昔の劇場の楽屋、記憶、記憶、ほとんど、忘れた。

 

もうほとんど、忘れてしまったけれど。あの頃の私は自分の存在を持て余していて、それをバレエに打ち込むことで必死に消費していた。人間は実存の余剰が多くなりすぎると生きていられないから。

最近はようやく持てるだけの実存を持って歩けるようになった(それは「諦めた」とは全然違うものだ)。この在り方が定着するまで、できることなら舞い上がるような幸福も跳ねるような嬉しさもなく生きていたい。というか、そうあれることこそが幸せだって気持ちになっている。興奮するようなことがあっても、その場は存分に喜びつつ、またちゃんと自分の椅子に戻って来られるように。しっかり寝て疲れが取れてる時なら、けっこうできてるかな。