大学院の一年目

一年目。あっという間に終わろうとしている。あまりにも見える景色が変わった。もしも大学院に来ていなかったら、なんて、想像しようとしたってできないくらいに。

あまりにも、と、書いたけれど、見える景色の何が変わったのかと言えば、それはほんの一点だけ、舞台の世界がアクセス可能なものとして立ち現れたということ。

この場合の「アクセス可能性」は、普通に使われる意味とはすこし違うかもしれない。大学院に来なくたって、観客として足しげく劇場に通うことも、舞台にかかわる仕事に就くことも、不可能ではなかった。

それでも私と舞台とのあいだにはいつでも踏み込み切れない距離があって、それは一度は踊る側として舞台に出会った私の、嫉妬とためらいのようなものだった。

郊外の小さな(そのわりに発表会の機会は多かった)バレエ教室で踊ることと、研究者が一般向けに書いた専門書とも読み物ともつかないような本を独学で読むことしか知らなかった私は、なにがどうしてわざわざ踊り手以外の立場で舞台にかかわる必要があるかしら、と感じていた。踊り手になれなかったから仕方なく裏方へ、なんてことをするくらいなら、全く別の世界で頑張ってみたらいいんじゃないかと思っていたし、裏方になってみたらやっぱり踊る方が楽しかった、なんてことになるのも怖かった。なにより10代の頃の劣等感が強く自分の中に残っていて、舞台を見に行くと、なにか自分がのけ者にされているような心地のすることも多かった。

そういったしがらみから自由になれたのは、踊ることをやめてから十分に時間が過ぎたからでもあり、留学先でそれまでとは違った形で舞台を見たり語ったりする機会を得られたからでもある。それから、こんなテーマでいいのかしら、やる意義があるのかしら、やれるのかしらと、散々に逡巡しながら、あの温かな母校のオフィスアワーでほかにやりたいことがあるわけでもないと気づきを得て、いつかやりたいと思い続けるくらいだったらまずは修士の二年間だけでも今やるべきじゃないかと思う自分の心もあって、それからそれから、あちこちにメールを出したり調べたりしてようやく今のアドヴァイザーに辿り着いたのだった。アドヴァイザーの人柄については、初めてZOOMで話したとき、初めて対面で会った日、それから直近のエピソードまで、いくらでも眺めていられるような思い出があるけれど、それはここには書かない。

大学院へ来て、身銭を削って舞台を見に行くようになった。研究者の講義からしか受けられないような刺激を受けた(研究成果は、たしかに出版物の中にも記されているのだけれど、公開されていない映像を見ながらの講義は遥かに豊かな情報を含んでいた)。海外の研究書や論文を、批判的読み方の面でも、毎週受講者と先生が集まって読むための時間が設定されているという意味からも、先生たちの存在に助けられながら読んだ。自分一人で読んでいたときとはまるで違っていた。

そうやって一年が過ぎてみると、もはや、そして今まで生きてきた中ではじめて、自分の存在と「舞台に携わっていたい」という気持ちとの間に、ズレがなくなっていた。自分の存在とやりたいこととがぴったり重なり合ってこの世の中に在るというのは、ある種の育ち方をした人にとっては至極当然のことなのかもしれないが、多くの人にとっては実は難しいことだと思う。やりたいことと職業とを一致させるというプラクティカルな問題よりも手前に、やりたい・好きだ、という気持ちが、自分自身と喧嘩せずに溶け合っている状態、あるいは正しく手をつなげている状態、にたどり着くという難題がある。

私自身、プラクティカルな問題についてはまだ全然解決していない。研究か、より現場に近い仕事か。それはこれからの一年間で向き合わなければならない課題だ。

一年目を振り返って言えることは、ただただ、見える世界が変わったということ。そしてそれは、私の場合、この大学院に来て、この出会いがなければ果されることのなかった変化だろうということだ。