村田エフェンディ滞土録

私は本をたくさん読むほうではないが、喉の渇きを潤そうとするように物語を求めることがある。Kindleで違国日記を飲み干し、次に梨木香歩の村田エフェンディ滞土録を読み始めた。

主人公の村田は、日本の大学から研究員として派遣され十九世紀末のトルコに留学している。ある時日本の上司から、彼らの大学に新しく研究室ができるからすぐ帰ってくるようにという手紙を受け取る。


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「私は史学科在籍の講師の身分でこちらにきたので、上司の命令には逆らえない。嫌も応もなく、すぐさま山田に連絡して次の日本行きの船の手配を頼んだ。
帰国の日が近づいている。
最初、そのことを下宿の人々に知らせたとき、案の定彼らは異口同音、早すぎると言った。」

「─ ─ 村田、貴方はもうここでの学問を全て修めたとお思いですか?それは大変傲慢な考えですよ。
ディクソン夫人は、けれど自分でも詮ないことを言っていると分かっているらしく、 その言葉にはいつもの迫力がなかった。オットーは、ペルガモンから移送した出土品に付き添って伯林にいたが、
─ ─ せっかくおまえをペルガモンへ連れていこうと思っていたのに。
と、同僚を通じて嘆いてきた。
ディミィトリス は、
─ ─何のための馬の訓練だったのだ。辺境の地へ、行くのではなかったのか。」

「それは私とてやり残したことはいっぱいある。」
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この本を読み出した理由として、海外暮らしに特有の心細さと自由さが感じられることへの期待があったのは事実だ。だけど誓って、こんなに強く自分の記憶とシンクロするとは思っていなかった。過ぎたことは過ぎたことであって、いつまでも留学のことを話すのはダサい気がしてしてしまう。けれどふとした瞬間に引き戻されるうちは、いくらでもあの頃の感覚をなぞり直せばいいだろうとも思う。今こんなに懐かしく感じていることも、いつかはまるで別の人の記憶のように遠い昔のことになってしまうのだから。

あまりにも突然に帰国が決まったこと。やり残した物事を思いながらも、事態のほうが動き難く決まってしまっているがために、かえって自分の気持ちは諦めに凪いでいたこと。最後の数日間の、短く長く、寂しくてうつくしかったこと。この記事を書いている今ですら、村田が帰国する場面を読んだ時ほどの切実さでは、もう浮かび上がってこない。

今日で出国からちょうど一年、帰国から約半年が過ぎた。

 

2020年9月19日投稿