九月二十日 (日記)

ゼミの先輩に会った。彼女は修士の指導教官が退職されたあと京都に移って博士課程を続けている。去年会った時に、新しい指導教官と反りが合わないと話していた。またその指導教官はアカハラの傾向があるようで、同じ研究室のなかで彼との関係で停滞している学生が他にもいるとも聞いたので、心配していた。

しかしさすがの行動力というか、彼女は軽やかにも京都を抜け出し研究のフィールドである沖縄に引っ越していた。そこで博論を進めながらリモートで大学院も続けている。そうだ彼女はこういう人だったと、嬉しくなった。

カフェにいる間は色々なことを話したが、外へ出たあたりから二人とも言葉少なになり、うまく別れられなかったのではないかと心配になった。心配になったということだけ書いておこう。今日は彼女が何を考え、どんなことをしているのかを聞けて嬉しかった。

自分が一つ更新され、前に会った時とは少し違う景色が見えているということを、互いにうまく伝え損ねたような気がする。自分の内側で起こった変化が、他人に伝わるようになるのには時間がかかるのだろう。彼女が今まで受けていた風が何で、新しく受けている風とどう違うのかは分かり切れなかったが、ともかくひとつ新しい風の吹く場所に立っているということは伝わったから、それでいいと思う。私もまた伝え損ねた気がしているが、それでいいのだろう、たぶん。

あるいは、自分がどんなに変わろうとも、周りからすれば良い意味で大したことではないのかもしれない。変化を伝えられないことよりも、周りに対して自分が変わったことを説明しなければならないような気持ちになってしまうことのほうが問題なのだろう。良い意味で大したことではないのだ。だから落ち着いて自分の道を歩けばいい。たまには手紙を出します。またこちらに来ることがあれば連絡下さい。

 

2020年9月30日投稿