九月(日記)

ある季節とかたく結び付いたまま、何度聴いてもその頃の色を帯びている歌がある。過去の苦しみなどというものは、時間が経ってから振り返ると、ほんの稚拙な悩みであった。今の私であれば難なく乗り越えられるだろう。それでも、あの頃の私にとってはたしかに地獄であったのだと、その地獄を生き抜き、苦しみを糧として歩む私がいたのだということが、歌の中に刻まれている。後生大事に抱えておくほどのものでもないが、あの日々を生きた私がいたこと、それは確かに愛おしいことだ。歌が憶えていてくれるから、私は安心して忘れ、未来の方を向くことができる。

 

 

夫婦って形で赤の他人と家族になれるのなら、赤の他人と兄弟姉妹にもなれたらいいのに。

あなたと夫婦やるのは向いてないかもしれないけれど、双子にならなりたいワ、ってね。

 

 

院進する大学の学部の演習に聴講で参加している。初回が合格発表の数日前で、これで院試落ちてたらどうしようかしらねと思わないでもなかったので、無事受かってよかったワ。

 

 

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院試が終わっても相変わらず、というかますます勉強することがたくさんあってほげぇ!となっている。

院試の終わりは研究の始まり、忙しいのは当たり前(標語)。

調べたい資料もたくさんあり、勉強すべき本もたくさんあり、あがががががが。