Noism 春の祭典ほか 感想

作品の展開・演出に関するネタバレがあります。

 

 

Noismはめいっぱいの身体そのもの!という感じで気持ちいい。その身体に集中させてくれない「夏の名残のバラ」の演出はなんだか悪趣味。冒頭だけが録画かと思いきや最後に全部が録画と分かってなおのこと悪趣味(LIVEのほうがまだ面白いというもの)。

 

春の祭典」一人ずつ椅子に座るシーン、オーケストラが踊り出すというよりは電車の中の私たちの姿。生贄がなぜ二人?(たぶん正しくは生贄は一人、庇う存在が一人)と思うが、二人いるとなんだかジゼルっぽい。あるいはマシュー・ボーン版白鳥のスワンと王子。からの、まさかの裏切り。ダンサーたちは常に巨大な「何か」におびえており、しかしその「何か」は観客の目には映らないので余計に怖い。

 

「Fratres Ⅲ」ダンサーたちを率いて先頭で踊る金森は力強く、圧倒的で、悪魔的でさえある。日本唯一の公共劇場専属舞踊団ではあるが、それと同時にNoismは20年近く金森カンパニーとして活動してきた。いつか金森が退く時、このカンパニーをどう残すのか。公共の存在として。と思っていたら、最後に金森が輪から離れ、彼のいた場所に落ちる砂だけが残った。

 

フェイクスピアの時と同様、観客が拍手を送る情景がなんだか好きだ。これは私にとって新しい感情。手を叩いているようにも、手を振っているようにも見える、高く挙げられた両腕。舞台の上と客席で交わし合う橙色。

フェイクスピア

ネタバレになるのでツイッターでなくブログで。でもそんな重大なネタバレはないです。

 

一人だけ遊眠社ばりに走り回る野田秀樹(65歳)

 

もはや何言ってるのか聞き取れない野田秀樹

 

途方に暮れて自転車を盗んだあの父親のように(デ・シーカ)

 

気球と、火を盗んだつもりが死を盗んでしまう江戸っ子プロメテウス(彗星の使者)

わたしトカゲ推しなので「しかしプロメテウスは江戸っ子だった」のところまじ頭抱えた

 

カラスたちはマシュー・ボーンのスワン

 

真の言の葉、言葉。真の実、真実(小指の思い出)

 

冒頭と終わりで口上を述べる白石加代子白石加代子ショウ?)

 

ほんとうに大切なものは目に見えない、この箱の中の言葉は声。

 

舞台が見切れる2階サイド席。観客の様子がよく見える2階サイド席。

 

open.spotify.com

 

観客は疑似的に居合わせてしまう。たぶんそれが一番、

(The SonやOn Bear Ridgeでも感じたこと)

 

 

てかLe Fils日本でやるのかー。観たいよー。

神楽坂

友人の舞台を観に行った。頼んでおいた花束を受け取ってから駅へ向かう。花束はあげる側も楽しい。手元に残らない花束でもきれいに出来上がっていると嬉しい。スカビオサという花の名前を新たに知った。

生の身体のエネルギー量に圧倒される。友人のダンス、これが「華がある」ってやつかなと思った。プロで舞台に出ていた人なのだなと思った。

ソロ公演のほうは、好きなとこも色々あったけど、厳格な型のないダンスにだってクオリティってものは厳然としてそこにあるよと思った。ロンドンで見た個人アーティストのパフォーマンスを思い出した。ロンドンと比べるまでもなく、プロジェクト作品と比べたって作り込み度合いが全然違う気がした。自分の好き嫌いをクオリティの話にすり替えているだけかもしれない。私はダンスに対して距離が取れない。

それから、この人たちはこんなに身体が動く、素人のそれではない、のに、働きながら踊っている?それも一つの形として可能であるべきだけれど、ダンサーだけで食べていけるとしても他の仕事をしたい方々なのだろうか。それとも?など、彼女たちの事情はともかくも、構造としては分かりきっていることを、また考えたりしていた。日本で踊るというのは、。

 

このパラグラフは椅子が硬くて疲れたので八つ当たりで書いた文章です。いわゆる「劇場」っぽくないパフォーマンス空間も好きだけれど、そういう場所は往々にして椅子が硬い。椅子が硬いという点だけは「どういう思想でやっているのか」と問い詰めたい。観客が舞台上の世界観に没頭しすぎること、登場人物に感情移入しすぎることを批判したブレヒトですら、心地よい状態で観劇できる環境が必要だと言っている。観客をうっとりさせることだけが芸術ではないけれど、たとえ居心地悪くさせたい場合でも、それは作品の中身でやることであって、椅子の硬さでやることではないと思う。というか十中八九そこまで考えて硬い椅子を選んでいるわけではないと思うけど。なんでもいいけど作品に集中させろや。

 

お腹がすきすぎて喫茶店に入った。入るのにちょっと勇気がいりそうな、個人経営の喫茶店とか定食屋さんは、(特に母方の)祖父母の家の雰囲気があって好き。空間も、私の後ろから聞こえてくるお店の老夫婦の話し声も。母方の祖父母の家は売り払ってしまってもうない。

私からは見えない角度にテレビが置いてあって、孤高のグルメが流れていた。それがなんだかいたく気に入って、作業中にラジオ的に聞くのに良さそうだと思った。でもあの場所で聞いたからこそよかったのかもしれない。

こんなご時世は風呂場と別にシャワー室のある家に住みたい。帰宅時間がかぶると風呂が渋滞するので最寄りのイオンで待つ。ふらふらと歩いて1時間くらい経ってしまったので無為な疲れ方をした。

4月

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4月。書きたいことはさほどない。一度はそれなりに強い帰属意識を持っていた大学に、実際に通ったのはほんの2年と3か月だった。私が思うほどには自分が書いたものを人に読んで欲しいと思う人は多くないのかもしれない。私は口で話すよりも書いたものでコミュニケートするほうが好き。でも人と会うのも好き。

フランス語講読の授業、三人いた学生が一人減りもう一人減り、聴講の私だけになってしまった。小学校が「こうでなければならない」と指定するもののほとんどは、大学においては「学びにたどり着くためであればなんだって構わない」。 小学校的精神から脱出する前の私だったら、この授業は辛かっただろうなと思う。

夕飯を食べた後っていつまでも椅子から動けない。もう薄着の気分になってしまったのではやく半袖を着たい。近頃は寝る時にねこが隣に来る。でかい猫なので人間と同じくらいの存在感がある。友達にもらった手紙に返事を書くためにレターセットを買った。書きかけの文章がいつまでも手付かずのままだ。夏の夕凪のようなぬるくてさわやかな言葉が大好き。でも冬の匂いみたいな冷たさのある文章も好き。

 

 

3月

 院試の勉強のため、1年生の頃の講義ノートを引っぱり出してきた。読み返してみたら記憶にあるよりもちゃんと理論的なことをやっていて、もし並行して授業内で紹介された本も読んでいたらかなり勉強になっただろうなと思った。当時、というかずっとだけど、私は講義はめちゃめちゃ真剣に聞くし考えるしレポートの成績もいいけれど全然本を読んでないタイプの学生で。一応読もうとして買ったり借りたりはしてたけど、毎回挫折していた。

まだまだ学術書を読むのは苦手だけれど、あの頃よりはできるようになった。院試までもりもり読むぞ。

活字中毒と言ってもいいくらいだった小学生時代から、読書習慣が崩壊した中高時代を経て、思えば一年の秋学期に先生の授業を取った時から私と本との関係は再び始まったのだな。本を読むことが学問の欠かせない営みであることを言い聞かせてくれた意味でも、シンプルに「かっこいいなこの人みたいにたくさん本を読むようになりたいな」と憧れさせてくれた意味でも。あれから3年くらい経って、ようやくスタートラインに立てた感がある。

 

 

「1月」の記事で書いた、国語辞典、ぼつぼつ楽しんでおります。先日は「穿った」の意味を知った。

そもそもの発端は「矛盾と逆説ってどう違うんだろう」から始まり、
逆説:「表現の上では一見矛盾しているようだが、よくよくその真意を考えてみるとなかなか穿った説」

……穿った穿ったってなんか、「ひねくれた」みたいな意味?

穿つ:「人情の機微や事の真相を的確に指摘する。「穿ったことを言う」」

知らなかった!

(ともに新明解国語辞典第八版より)

 

 

自分のためのメモ。

 

bunshun.jp

 

日常の中に震災があった。いや、震災の中で日常を生きていた。それを知れば知るほど、いわきで生きていることが、とても大切なことのように思えた。

取材と称して、いろんなところへ行き、人に会った。職業としての記者を離れてみても、私は人の話を聞くのが好きだったし、それを誰かに伝えることを必要としていた。ニュースは世界そのものではない。こぼれ落ちていく日々の多くの出来事の中にも、伝えられるべき大切なことはある。メディアに対する、自分なりの抵抗でもあり、反省でもあった。

 

bunshun.jp

東京にとって、3.11は日常ではない。年に1度訪れる、メモリアルに過ぎない。「寄り添う」と言ってみたところで、日常を過ごしている私たちとの認識の差は、当然ながら大きい。その差を、殊更に責め立てるつもりもない。認識の差を埋めるため、東京の電波を使って、多くの人に知ってもらうように交通整理することも、地方局の務めであろう。すべての人間が、日常的に3.11を考える必要もない。私もまた、この時期に向けて、心血注いでニュースを伝えようとする1人である。

 しかし……、と思う。

「静謐であるべきだ」と話す被災者がいるにも関わらず、3月を一方的に「震災の季節」にして、少なからぬ人たちを困惑させ、場合によっては踏みにじるようなメディアの身勝手さを、感じないわけでもない。

 

note.com

撮影していた鉾井は、冷静だった。あまりにも現実離れしていて、まるで映画のように感じたからだという。津波が押し流している車や家には、多くの人がいるに違いない。人が巻き込まれる瞬間などが生中継で映り込むことがないよう、画面のアップを極力避けるよう意識した。

 

「あの現場を撮ったことに対して、誇りを持て」と言われたこともあった。撮った映像は貴重だと感じるが、そういう風に思うことはできなかった。自分の成果ではない。逆に、ヘリのおかげで自分の命が助かっただけだというのが正直な気持ちだった。

 

 

発表会の~手伝い~~社交辞令でも「もう踊らないの?」って声をかけてもらえると嬉しいのだ。人の顔、音楽、昔の劇場の楽屋、記憶、記憶、ほとんど、忘れた。

 

もうほとんど、忘れてしまったけれど。あの頃の私は自分の存在を持て余していて、それをバレエに打ち込むことで必死に消費していた。人間は実存の余剰が多くなりすぎると生きていられないから。

最近はようやく持てるだけの実存を持って歩けるようになった(それは「諦めた」とは全然違うものだ)。この在り方が定着するまで、できることなら舞い上がるような幸福も跳ねるような嬉しさもなく生きていたい。というか、そうあれることこそが幸せだって気持ちになっている。興奮するようなことがあっても、その場は存分に喜びつつ、またちゃんと自分の椅子に戻って来られるように。しっかり寝て疲れが取れてる時なら、けっこうできてるかな。

 

2月

やっぱり、鍵をかけない人格を一つインターネット上に置いておきたい気持ちがある。もともとは@オヤシロ20を大学アカウント兼匿名公開アカウントのつもりでずっとやってきたのだけれど、鍵かけないといけなくなってしまったから。そのうちまた新しく作ってしまうかもしれないな~という気持ちと、動画を貯めてるだけのも含めてもうアカウント幾つ持ってるねん!という気持ちと。

副交感神経がオンになってる時と、そうでない時の、呼吸の違いが分かるようになった。交感神経モードになってる時は、大きく吸うことができない。いや、一応できるのだけれど、みぞおちの辺りが固くなっていて、肋骨より上を持ち上げるようにしないと大きく吸えない。浅いところで頑張って大きな呼吸をしている感じになる。
副交感神経モードの時は、もっと深いところから吸うことができる。大きく吸った息が、浅いところではね返ってきてしまうのではなく、体のなかの方まで入っていく。
おなじ「大きく吸う」でも全然ちがう吸い方があることが分かった。んだけど、じゃあ浅く大きくしか吸えなくなっている時にどうすれば深く大きい呼吸ができるのかは分からない。
最近はミュージックプレイヤーを1時間タイマーにしておいて音楽が途切れる前には眠りについているのだけれど、今日は1時間しっかり聴けてしまった。それでかなしくなってスマホを触ってしまっている。

2月20日朝、夢の中で親が牧師か神父だった(多分現実の親とは別の人)。礼拝――というよりお祓いのような、個人のために行う祈りのようなもの――の予約をされた方が時間にかなり遅れて来て、牧師も時間の都合があるので出ていかなかった。私が代わりに行って、「父も次の仕事があるので礼拝には来れないのですが、よかったら私と一緒に聖書を読みませんか。これを読むだけでもずいぶん気持ちが落ち着くと思うので」と話しかけていた。礼拝をしてもらえないことにかなり怒っておられたので聞き入れてもらえないかもしれないと思ったが、意外にも一緒に読もうとしているような素振りだった。そこへ牧師が来て結局聖書は読まなかった。

ようやく行くべき大学院が決まった。これでやっと勉強に集中できる。というか集中してくれ。

ひと段落したからというわけでもないけれど、映画を2本観た。

就職にせよ博士進学にせよ、キャリアについてもちろん自分でも考えてはきたけれど、院の先生と話すとその辺のことが急に具体化してくる。私がいつも怖いのは、やりたいと思っていたことが具体性を帯びていくに連れてその輝きを失いゆくような気がすること。物事の避けては通れない段階だと思うし、その段階を通り抜けた先に嬉しいことや素晴らしいものが待ってるとも思う。

ただ私は多分、バレエで夢を見すぎた。なんて言えばいいのか、本当に、踊ることはどこまでもどこまでも理想を追いかけて行くことだった。あんなに果てしなく遠くを見つめられる時間ってこの世にほとんどないと思う。人間の身体機能の限界の先を、人間には届かないものを追いかけることだったから。

届かないものを追いかけるのが許されている仕事ってほとんどないと思う。理想レベルでは遠くを想い描いて働いている人も中にはいるだろうけれど、実務上はとにかくまず形にしないと始まらない。ダンサーの使う言葉を聞いてるとね、なんか、彼らは実務レベルでさえもいつも遥か先を追いかけてると思う。私もそうだったと思う。だからこれから先、私は何をやるにしても、いつも何か物足りないと思ってしまうのかもしれない。例えばもしかしたら、「研究なんかにこだわらず働いてお金をもらってたほうが楽しかったんじゃないか」とか、逆に「あの時諦めずに研究を続けてればよかった」とか、「あの時転職していればよかった」とか、何をやってもいつも、自分は何かに飛び込み損ねたと思ってしまうのかもしれない。

ああ、でも、だったら、どうせどれも同じなのだとしたら、どれだけ胸の中にときめきを持ち続けられるか次第なのかな(なんて、映画を2本も観たからこういう気持ちになってるのだと思うけれど)。全ては気持ち次第と言ってしまえばありきたりだけれど、「これから先の人生バレエと同じくらい遥かなものを追いかけられるものには多分二度と出会えないんだ」ってちゃんと絶望した上での、それゆえの希望の持ち方のような。

「これはあの頃の私にとってのバレエほど魅力的じゃないな」と思いながらやってると、だんだんその思いに引っ張られて自分の在り方や理想まで低く見積もるようになってしまうんじゃないかと思って。そうならないためには(堅実にすべきことをこなしながら大きなビジョンも失くさないためには)、結局ドキドキやわくわくを絶やさないことなのかなって。仕事でもそれ以外でも楽しく生きたもん勝ち、みたいな。そうやってチャージしたものがあるからこそ仕事にも愛情を注げる、そしてまた仕事からも喜びを得る、みたいな。そう、もうこのさき生きてたってそれ自体が輝くようなキラキラに出会わないのだとしたら、後は私がどれだけそれらを愛せるか、なんでしょう?
(2月26日)

ハモネプ、めっちゃかっこよかったなあ!友達から聞いてTVerの事前番組を見たのが1月末で、それからずっと楽しみにしてた。舞台の上での「魅せ方」が格好いいとほんとに好きになってしまう。同じ理由でアンブランドのライブも好きだったし、「紅蓮華」(ICU)の訴えるような歌い方も「bad guy」(東大)の大人っぽい雰囲気も「夜に駆ける」(明治)の表情や腕の動きの付け方も全部かっこよくて頭から離れない。もう一度入学当時に戻れるならアンブランド入っちゃうわあと思った。腹式呼吸1ミリもできないけど。

1月

1月5日、うわあという気持ちになって国語辞典と仏和辞典をいっぺんに買った。数日前に注文した本の分と合わせて、クリスマスにもらったアマゾンギフトカードを使い切ってしまった。手元にあって悪いものではないからいいのだけれど、やっぱり辞書って特別な買い物という気がして、ちょっと追い詰められていたり「えいやっ」という勢いがある時じゃないと買えないものだ。

うちで踊ろう ひとり踊ろう

インスタに投稿された前半部分、ステイホームをよびかけつつ聴く人を励ます内容で、好き。

紅白で追加された後半部分、今の世界への怒りと「変わろう」というメッセージが好き。

なのにそこからの展開が「飯を作ろう ひとり作ろう 風呂を磨いて ただ浸かろう」になっちゃうの、なんか違う。

――クオリティーへのこだわりが低いと。

手越:低い。やっぱり海外は、サッカー選手もそうですけど、言い方は悪いけど、どんなに練習をサボろうが点を取ってたら文句を言われないですよね。でも日本は点を取ってても、練習サボったら文句を言われるみたいなところ。その時点で勝てないですよね。*1

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生理と射精の話、結局あの人が何のためにその二つを並べたのか理解できなかった。ただ今月、私はいつもより生理の量が多くて、授業の前に飲み物を用意しようと思って立ち上がったらジーンズにも布張りの椅子にも血がたくさんついていた。血は放置すると固まってしまうから、すぐ洗わないといけない。結局10分ほど授業に遅れてしまった。

男性はいままさに授業を受けようとしている時、それも単位のために仕方なくとかではなく自分が受けたくて受講している授業が始まりそうで、そちらに気が向いている時、特に自分を性的に興奮させるものを見たわけでもないのに、どうしても今射精しなければならなくなることがあるんですか。

わけあって昨年4月に美術手帳に掲載された、コロナ禍における文化芸術支援についての記事を読んでいた。

公的助成団体には、助成対象事業が中止になった場合でも、すでに内定している助成金の返還を求めないこと、さらに助成金の使途の制限を例外的に緩めて損失の処理を認めること、そして自由度の高い(運営費にも充てることが可能な)資金を提供することを検討してほしい。*2

これはね、これを実践していたのは、公益財団法人業務スーパージャパンドリーム財団様です……!

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ブログを移行した。前のタイトルをとても気に入ってたので悲しい。