フェルメールと17世紀オランダ絵画展 感想

今回の目玉である『窓辺で手紙を読む女』は、2017年からの調査・修復で塗りつぶされていたクピドを復元したらしい。え、めっちゃ最近じゃない?修復が完了したのが2021年だというから、日本にはなかなかのスピードでやってきたことになる。世界各国の美術館から見た日本の企画展って、経済効果・反響の大きさetc...の面から、評価が高かったりするのかしら。

〈窓辺で手紙を読む女〉の後ろに飾ってあるクピドの絵、〈女〉の頭部とも重なっているのに。これを隠した人はよほど丁寧に上塗りをしたのね、髪の毛を不自然に塗りつぶしてしまわないように……。そしてもともとはなかった窓枠の影まで描き足して。

まだフェルメールが有名でなかった頃にレンブラントの作品として売るために塗りつぶしたのではないか、という説があるくらいなので、仮に贋作師だったとしても通用するような、腕の立つ人がやったんだなあと思った。

 

以下、個人的なメモ。

 

23. 自画像 by ワルラン・ヴァイヤン

近代美術Ⅰの授業で「自画像は鏡を見て描いているので左右反転の像(たとえばゴッホの自画像で欠けているのは右耳になっている)」という話を聞いた。言われてみればたしかにな話。

ヴァイヤンのこの絵に描かれているのは両腕のうちの片方のみ、左右反転像だとしたら右腕なので、彼は左利きなのかしら?と思ったりした。

一緒に行った人は「表情がナルシストっぽい」と言っていて面白かった。


25 若きサスキアの肖像 by レンブラント・ファン・レイン

キャプションに「肖像画ではなくトローニーと呼ばれる頭部習作かもしれない」といった旨の説明あり。ネットで検索したところ、ほかに「トロニー」「トロンニー」といった表記をすることもあるらしい。

この用語を簡潔に説明していてかつ信用できそうな情報源を見つけられなかった。かいつまんで言うと、トローニーとはオランダ語で「顔」や「頭部」を意味し、〈誰かの顔〉ではなく〈表情〉を描くことに主眼を置く。顔の表情を描くことが重要なので、誰の顔かは重視されない、または特定のモデルはいない、といったところだろうか。

 

62 歯医者(ヘラルト・ファン・ホントホルストの原画に基づく版画)

大人数で一人の口の中を覗き込んでいてものものしい。


64 放蕩息子の譬えに扮するレンブラントとサスキアの肖像(レンブラントの原画に基づく版画)

さっきも登場したサスキア。レンブラントの妻らしい。レンブラントめっちゃノリノリな顔している。


65 アトリエの画家(アドリア―ン・フォン・オスターデの原画に基づく版画)

61 アトリエの画家(ヘラルト・ダウの原画に基づく版画)

画家のアトリエに頭部彫像が置かれているイメージはあるが、これらの絵には関節がしっかり動きそうな木彫りの人形が置いてあった。この時代の画家はこういうものでポーズを研究したりモデルの代わりにしたりして絵を描いたのかあ。ちなみに65は奥の方に細部が描き込まれてなくて影だけの幽霊みたいになっている人物がいた。


10 手紙を読む兵士 ヘラルト・テル・ボルフ

赤い物体がなんなのか分からなかった。

【1分deフェルメール展㉟】ヘラルト・テル・ボルフ《手紙を読む兵士》(1657–58年頃 ドレスデン国立古典絵画館) - YouTube

毛皮のついた赤い帽子らしい。どこがどうなって帽子になっているのか分からない……。兵士・手紙・赤で、しかも得体の知れない物体だったので、動物の死体かと思った。

でもこれだけ暗い画面の真ん中に赤色を持ってくるというのはまず間違いなく意図的にやったのだろうから、実際「死」の暗喩とかなのかもしれない。分からないけど。 


11 手紙を書く男 by カスパル・ネッチェル

〈男〉の背後に飾られている地図はどこのものだろう。ユーラシア大陸と日本のようにも見える。

友人は「手紙」と「地図」で外の世界とのつながりを思わせると言っていた。

 

14 レースを編む女 by ハブリエル・メツー 

足湯箱に乗ってる猫かわいい。寒いんだろうねえ。キャプションには「猫は官能的な誘惑の象徴であり家の中にいるのは不名誉なこととされた」といった旨の説明。


15  鳥売りの男 by ハブリエル・メツー

鳥は性的タブーに対する道徳的な警告であったとの説明。じゃあキャプションには何も書いてなかったけれど 「7 若い女に窓から鶏を差し出す老婆」もそういう意味なのか。

 

59 手紙、ペンナイフ、羽根ペンを留めた赤いリボンの状差し by ワルラン・ヴァイヤン

かわいい!この絵のほかにもトロンプルイユが使われていたり、コントラストの際立つような暗い色が肖像画の背景に用いられたり、17世紀オランダ絵画はとても写真的だと感じる。

 
54 ニシンを称える静物 by ヨセフ・デ・ブライ

ニシンがいかに二日酔いやその他の症状に効くかを讃える詩を刻んだ石碑と、その左右に吊り下げられたニシンと、手前に置かれたニシン料理。

えっ、これは、真面目に描いてるの?おもしろ枠なの???

 

56 花瓶と果物 by  ヤン・デ・ヘーム 

番号をメモし忘れてしまったけどたしかこの絵だったと思う。黄土色の花だけ下絵状態に見えて面白いと感じてしまった。


52 夜の村の大火 by  エフベルト・ファン・デル・プール 

闇夜のなかで炎に照らされた人や建物の色彩の描写がすごいと思った。色使い的にはディズニーと変わらないんじゃないだろうか。火事って見たことないけど、実際に目にしたらこんな色に見えるんだろうか。

 

46 カナの婚礼 by  ヤン・ステーン 

左奥の人物はプラトンみたいなポーズしているけど、イエスなんだろうか。

【1分deフェルメール展㉘】ヤン・ステーン《カナの婚礼》(1674-78年頃 ドレスデン国立古典絵画館)―聖書の物語を描きながら、宗教的に重要な人物が目立たない描写が特徴の風俗画的宗教画#Shorts - YouTube

水をワインに変えているしぐさらしい。

 

 

17世紀オランダ絵画、肖像画の暗さと風景画の明るさの対照性が印象的。

わたしはフェルメールよりはゴッホ(の風景画)が好き。

院試勉強の記録

勉強したもの/よく見てたもの

(これだけでは足りないけど、これらから芋づる式に派生させて。)

英語について(あまり参考にしないほうがいいかも)

  • 大学受験レベルの語彙の抜けをカバーする
  • 研究計画書を書くにあたって読んだ論文の中の単語を覚える
  • 専門分野の論文のabstractだけを読んで知らない単語をおさえる

論述について

  • 正直言って論述対策なんかしてる時間はなかった。
  • 8月に二つほど解答案を作り、それを大学の先生に送って添削してもらった。
  • 絶対これが出るでしょ!と思っているお題があったので、その解答をめっちゃ作り込んだ。結局それは出なかったわけであるが……

その他

ゴッホ展 感想

ゴッホ展に行った。彼の作風はその短い画家人生のなかでも時期によってそれぞれ異なることや、自分が惹かれるのはいつの作品のどんなところなのかを改めて知った。

 

数年前に「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」で見た果樹園の絵と再会して嬉しい。キャプションに三月下旬以降とあり、実際まだ寒さの残る春の絵だと感じられた。記憶の中ではこの絵はもっと寒い季節を描いている印象だった。それというのも「巡りゆく日本」展で同じく展示されていた雪景色の絵とこの果樹園の絵とが、私にとっては同じ記憶の部屋に入っているからなのだった。この絵を見る2021年の私の頭の中にレ・シルフィードのパ・ド・ドゥの音楽が流れ出すのも、2017年の私がゴッホのアルル時代の作品にレシルのイメージを強く喚起させられたからだ。そんなふうに過去の鑑賞体験に印象付けられている絵ではあるけれど、今の私が見ても「こんな絵が自宅にあったらいいだろうな」と思った。

 

今回の展示は、個人のコレクションとしては最も多くゴッホの作品を集めた、ヘレーネという人物に焦点をあてたものだった。展示の入口にヘレーネのコレクションの一覧があり、作品の値段も書かれていたのだが、どう見ればいいのか分からなくて戸惑ってしまった。美術品の値段と評価についての知識やマーケティング的な知識が全くないのだな。

 

大きな展覧会に行く度に思っているかもしれないが、皆がぞろぞろと並んで鑑賞する様子におげぇ~!?となる。パンダじゃないんだから。好きなように行ったり来たりしながら見なよ。
キュレーターが用意した展示順がその人にとっての鑑賞体験と常に一致するなんてあり得ない。ずっと列に従って押し流されるままに作品を見てる人たち、あれは「身体なき視線」だと言えるかもしれない(舞台芸術と視線の権力についての文章を読んでいる)。あなたが今日美術館に行ってゴッホを見た、それは本当にあなた自身の体験だったのか?

 

 

以下、個人的なメモ。

 

機織りの絵のポストカードが欲しかったけれど売っていなかった。結局、グッズ化されるのは「映える」絵よね、と思う。ポストカードを二枚買う。それから沢山持っているようでいて気に入ったものは全然持っていない、メモ帳とマスキングテープも。できるだけ持ち物が気に入ったものと実用的なものだけで構成されるよう、徐々に入れ替えていきたい。栞は、大いに必要だけどピンとくるデザインのものがなく、でも一緒に行った人が「これにしな!」と選んでくれたので一つ買った。人に選んでもらったものを使うというのも趣があると思う。

 


6. アンリ・ファンタン=ラトゥール『静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)』

キャプションに「精神性」とあり、その言葉から出発してわたしは「禁欲的」だと思った。でもザクロが描かれている絵に「禁欲的」はおかしいはず。モチーフと隠喩についての勉強をしたい。


8.カミーユピサロ『2月、日の出、バザンクール』

早朝や夕暮れの不思議な光をよりよく留めるのは、わたしにとってはなぜか、写真より絵画であるように思う。


10. ポール・シニャックポルトりゅーの灯台、作品183』

なぜか構図がとても写真的だと思った。


43.フィンセント・ファン・ゴッホ『織機と職工』

絵を見ながら、絵の中の薄暗い石造りの小屋へと入っていく。鑑賞者の身体性で空間を再現する。


48.フィンセント・ファン・ゴッホ『鳥の巣』

鳥の巣に惹かれるゴッホの気持ちを知りたい。


72. フィンセント・ファン・ゴッホ『黄色い家』

ゴッホって、こんなに青い空を描くの。

キャプションに「コバルトの空と黄色い家、難しい題材だった」というようなゴッホの手紙からの引用。

 

71. フィンセント・ファン・ゴッホ『サント=マリー=ド=ラ=メールの海景』

ゴッホって、海描くんだ。なぜかあたたかい気候/地域の海だと感じる。

 

60.フィンセント・ファン・ゴッホ『サン=レミの療養院の庭』

これも、絵の中に入ってみる。ICUのキャンパスのような。私は咲く花々がうれしくて歩き回り手を伸ばすだろうし、ゴッホもひたすらに花が嬉しかったのだろう。

夜の絵だとは気づかなかった。


63. フィンセント・ファン・ゴッホ『夕暮れの松の木』

今回の展示の中で一番ジャポニズムを感じた。


67.フィンセント・ファン・ゴッホ『夜のプロヴァンスの田舎道』

夜なのに明るい。


57.フィンセント・ファン・ゴッホ『サン=マリー=ド=ラ=メールの眺め』

絵に描くことと写真に撮ることは違うけれど、ある景色が持つ情感を留めたいと思うことは、私が写真を撮る理由でもあり、(きっと)ゴッホがアルルで絵を描く理由でもある。


58. フィンセント・ファン・ゴッホ『種まく人』

私にとってのゴッホは、今はなくなりつつあるあの畑を想起させる作品。この絵は、種まく人の足元の枯草が、ほんとうに。

 

 

 

十月(日記)

10月。院試が終わってバイトを再開した。シフト日数は自由だが、勤務日は基本8時間労働なので、翌日など疲れてろくに勉強できない日が多くなってしまった。こんなことならいっそ、10月はもっとたくさんシフトを入れてお金を稼ぐことに集中すればよかった。などと、たらればの話。

 

あまりに物事を計画通りに実行する能力がないので今まで気が付かなかったが、実は色んなことが自分のコントロール下にきちんと収まっている状態がかなり好き。計画通りにいかなくても、そのぶんの調整を自分でうまい具合にやれるなら、あまりストレスはない。外部からの影響で突然スケジュール変更を強いられるのはとても嫌い。

 

ツボに入って一人で辛くなっていたことが、髪を切ったらわりとどうでもよくなった。自分でもそろそろ邪魔だなあと思うほどに髪が長いと、"気"のようなものが淀むのかもしれない。

 

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九月(日記)

ある季節とかたく結び付いたまま、何度聴いてもその頃の色を帯びている歌がある。過去の苦しみなどというものは、時間が経ってから振り返ると、ほんの稚拙な悩みであった。今の私であれば難なく乗り越えられるだろう。それでも、あの頃の私にとってはたしかに地獄であったのだと、その地獄を生き抜き、苦しみを糧として歩む私がいたのだということが、歌の中に刻まれている。後生大事に抱えておくほどのものでもないが、あの日々を生きた私がいたこと、それは確かに愛おしいことだ。歌が憶えていてくれるから、私は安心して忘れ、未来の方を向くことができる。

 

 

夫婦って形で赤の他人と家族になれるのなら、赤の他人と兄弟姉妹にもなれたらいいのに。

あなたと夫婦やるのは向いてないかもしれないけれど、双子にならなりたいワ、ってね。

 

 

院進する大学の学部の演習に聴講で参加している。初回が合格発表の数日前で、これで院試落ちてたらどうしようかしらねと思わないでもなかったので、無事受かってよかったワ。

 

 

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院試が終わっても相変わらず、というかますます勉強することがたくさんあってほげぇ!となっている。

院試の終わりは研究の始まり、忙しいのは当たり前(標語)。

調べたい資料もたくさんあり、勉強すべき本もたくさんあり、あがががががが。


八月(日記)

過去のエントリーを読み返して、なんだかこのブログは自分が思うよりずっと素敵なものかもしれないと感じた。昔書いた文章を読み返せるのっていいことだ。ほんの数か月前の記事でも、忘れていた出来事、感情、気温がそこにある。その季節だけの、その時期だけの、もとより長く続くはずはない些細なルーティーンが記録に残っている。

 

8月31日、一日だけの夏休みをする。

バスに乗って神社に行き、バスを乗り継いでまた神社に行くだけの冒険。車で通り慣れている道でも、バスに乗ると知らなかった地名が耳に入るから楽しい。ちょっと休ませて下さいと挨拶をしてお寺の階段でメロンソーダを飲みながらバスを待ったり。久しぶりにフィルムをカメラにセットし、帰り道でちょうど使い切る。

カフェオレを淹れてずっと読みかけのままだったコレットを読み終える。ブログを書く。あっという間でたっぷりな一日。

 

昨日までの30日間、書くことはあまりない。時々なにもかもがイヤになりながら、なんとかかんとか机に向かい続けている。よく頑張っているほうだと思う。詳しいことは全部が終わってから書きたい。時間は、ダラダラしている頃の方が無限にあるように思えて、きっちり頑張り出すと急激に短くなる。とにもかくにも広い机とモニターを買わないとやってられないだろうと思い続ける日々。

 

八月が進むにつれて、自分の後ろに積み重なった日々が重くのしかってどんどん肩が凝るようだった。毎日を〈最初の一日〉のような気持ちで迎えられたらいいのにと思った。

明日から九月だ!新しい月の一日目、晴れやかな気持ちで勉強できますように。

 

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sleep, I wish you a sweet dream

草の匂いを胸いっぱいに吸い込んだり、星を眺めたり、そういう時間が少ない。そういうものはあの世に通じていて、ひっぱられすぎると現実の手触りが曖昧になってしまうから。目の前の人生に集中して欲しい時、意図的に距離を取るようにしている。
静かな雰囲気をこわさないように、ちいさな小石ほどの祈りを積み上げるようにしてプレイリストを作り終わったら、風に揺れる草を好きなだけ眺めた時と同じふくらみが胸のなかにあって、よかった。
https://open.spotify.com/playlist/4q5BUAzK4QYHy6ap4rBS2n?si=-AwroZSNTuqyjSQ180AxIQ